2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧

現代は、意味不明である。 即ち、妄想である。 証明終わり! *。 殺人に愛を見、幸福が殺人のであることを知らない。自分を見る知性がない。 即ち、知性の自主性がない。

これは現代が陥ったパラドックスである。物質文明で豊かになった、物質文明がいった。 だが物質文明で、精神の貧困に陥った。 即ち、物質文明は精神の貧困である。共に意味不明である。

現代のパラドックス

アンリアルの中にリアルがある、リアルがいった。この文章は、「この文は嘘である」と同じだ。 この文が正しければ、嘘である。 間違いなら、この文章は正しい。正しければ、嘘である。 間違いなら正しい。 即ち、否定の肯定である。 どっちをとっても、意味…

日本は死の本能の世界だ。 西欧は、生の本能に脱出した。それは凶暴を認めるか、認めないかの違いだ。

ナチスの殺人と日本人の殺人は同じだろうか。人間性を野放しにした戦争、 人間性を閉塞した凶暴なる戦争、 仕組みを見れば違う。ヨーロッパには進化あり、 日本に進化はない。 *。 ヨーロッパは弱者を殺さない世界に進化した。日本は弱者を殺す世界だ。 水俣…

この穏やかな日本人は、人類数千万人を殺害をした。それなら西欧の戦争と同じに見える。

国家原理主義は、 人間性を疎外し、 閉塞感を作り、人々を心の闇に葬る。国家が国民を弾圧、鎮圧した。 国民は国家の奴隷や家畜となった。これを穏やかで温厚な国民という。 国家の言いなりになる人々だ。 *。 ヨーロッパは、人間をありままにして、 そこに…

凶悪二モード

ヨーロッパは死刑を廃止した。 殺されても殺すことはしない。 凶悪を野放しにした。凶悪を社会の責任として、引き受けた。 凶悪対策を、社会の責任とした。 *。 東洋や日本はどうだろうか。歯には歯である。 凶悪には凶悪、 かくして、国家は凶悪の担い手と…

ヨブは、命を削除した、信仰や愛を生きていた!日本はヨブなのだろう。 愛国心は命の排除だ。

感動は命を排除しているからだ。感動は人間性不動点ではない。どんなに信仰し、愛し、感動しようとも、 そこには命はない。

ヨーロッパは言葉より先に進んでいる。 概念にとって、言葉は単なる記録装置だ。 概念は言葉を超えた。そこに生の文明が捕まえられる。 *。 日本人は、言葉に拘り、 金や官能や感動の体だけを生きている。ここでどんなに人気を得ようとも、 そしてどんなに自…

この観測装置は、言葉では作れない。汝自身を知れ。 これは観測装置理論であった。観測装置は、言葉で作れない。

偽の感動も感動の一種である、日本人が言った。このパラドックスを解読できず、 パラドックスに絞め殺された。かくしてお上の殺人は、死刑と仕分けされない。 無実死刑も死刑の一種となった。無実死刑に心を動かされない。 *。 残酷が残酷にならない。日本は…

秀吉の偽の感動で、本当の感動を排除した。 アスペルガー症候群に落ちた。偽の感動を本気にした。 感動には偽と本当がある。

それには自分で考える人間にならないといけない。 すると自分が見えるようになる。今の日本人は、自分で何をやっているのか分からない。 *。 殺生禁止の仏教。 だが戦争はするし死刑はする。日本は全体化していない。 魂が入っていない。

秀吉は、人を感動で釣って、人間性を殺した。日本人が世界人になるには、秀吉を殺ろさなければならない。 これが日本の世界デビューだ。

悪魔は感動で人を釣る。 これが悪魔のお菓子だ。 それを食えば、悪魔地獄に落ちる。日本は悪魔地獄に落ちた。 死の本能の世界だ。 *。 秀吉を殺せ。 日本はまだ始まっていない。日本が始まるには、秀吉を殺さなければならない。

未来は言葉の世界にはない

言葉はあまりにも貧弱だ。 言葉は人の一部を全体化をする錯覚だ。 言葉は人を貧困に陥れた。言葉はただの記録因子だ。 これに拘った文学は、人を殺した。 命を削除した豊かな世界を幻想させた。言葉の過剰使用は、命を削除した。 夢や希望で明日は開かれない…

神を殺したお上には対応がない! そういう問題だ。

すると裁判員よりも、警察の第三者観察が必要ということだ。これを避けるために、裁判員を置いた。これが畜生役人の本音だ。可視化不可欠の時代に、裁判員でごまかそうとしている訳だ!

従って、捜査も可視化しなければならない。すると担当警察官会議も可視化しなければならない。 すると可視化用と非公式の正式会議がもたれる。 これも可視化する。

可視化も問題

日本の司法や警察は、神を殺した組織である。 問題は際限なく展開する。現在の無実死刑の一部は、 狭山事件と砒素カレー事件だ。ここで問題になってることは、 狭山事件では、始め家宅捜査した警察官は、鴨居に刃物はなかったことを確認している。 それを法…

日本人は文字を持っていなかったため、言葉以前を知っていた。これが日本忍者の特性だ。

言葉のない命を、言葉で書く。 言葉は矛盾があるから言葉である。言葉は言葉のない世界の射影だ。 だから何でも出来る訳がない。

お上日本はその精神現象を知らない。単一原理と多様性の交点がある。 それが妄想であった。 *。 その交点こそは、言葉の発生点だ! 言葉以前は真であり、言葉以後は妄想である。言葉のある世界と、言葉のない世界、全く違う。

ゲーデル数は、矛盾と無矛盾の交点だ。 これで矛盾と無矛盾が、接合される。ここで矛盾と無矛盾が、一点で交わる。かくして、矛盾は無矛盾で、無矛盾は矛盾となる。 矛盾と無矛盾の同一化が、論理の発生点となる。

ところで免疫は異物排除である。 だが実際は、異物に殺される人間だ。排除は原則であって、 病気ではこれが成立しない。病気可能性にあって、 即ち、病気可能性、即ち、平行線は交わることもある。そこで交わらない平行線を主張する。即ち、例外はない。 *。…

ユークリッド幾何学自体妄想だ。これを公理化した公理論的集合論は、その無矛盾は証明されない。 つまり交われない平行線は、妄想である。

捩れ学

国家と国民、国益と個人、 五票格差合憲と一票の権利、 無罪と死刑、 いたるところで捩れる。そして国家は誤っていても正しく、国民は正しくても誤っている。 即ち、国民の否定が国家の肯定となる。 *。 何故こうなるのか。交わらない平行線が妄想だからだ。

生きる喜びは、魂を排除する作業だ。 そこに愛や魂を置いていた。生きる喜びこそは、極悪エゴイズムだ。 ここに世界は破壊された!これが現代人の問題だ。