子供は夢を追うが、大人は真理を追う。

子供はパラドックスを発振し、大人はパラドックスを解消する。

大人は矛盾から、無矛盾を結晶し、
あるいは無矛盾から矛盾を結晶する。

これで文学が公然と悪意をさらす必要はなくなった。
国家や文学の善意は、悪意を隠蔽したものだった。
悪意を善意として晒すことが国家や文学や物語だ。

現実に立てば、こんな情報操作は必要でない。