アメリカも日本も、国益追求が優先し、市民の生命は下部構造である。
即ち、国家と国民は階型の違うパラドックスである。

即ち、国家があって国民がある。
国家と国民は交わらない平行線である。
即ち、国家原理主義である。

即ち、国家は誤っていても正しい。
そうしないと国家は成立しない。
即ち、国家は国民を異物として排除する。

即ち、国家は悪の帝国であった。
これは民主主義制法治国家の決定である。

    *。
ヨーロッパは国家原理主義をぶち抜いた。
国家が国民暴力を認めた。
それがゼネストであり、シー・シェパードである。

国家と国民は、互いに暴力を認めた。