2011-04-29から1日間の記事一覧

天災は多数の死である。これを従容として受け入れるのが、非ユークリッド文明だ。

西欧文明は、ハラキリ文明であった。 *。 今天災や死を受け入れる紫式部知性が発見された。天災や死を受け入れるダイナミック文明である。紫式部文明は、死を排除する理論理性とは異なる。

国家は反対を死刑や戦争に処理する。 即ち、民主主義国家は、隠れファシズムであった。それが世界に露見した。

エリートは人災であった。 *。 多数決は、ファシズムである。 多数により、反対を排除するからだ。これを民主主義とした。 その本質は、ファシズムである。

原発はリストカットである。 遂に死の危機に陥れた。原発はクリーン・エネルギーである。 これや嘘や妄想でしかない。この嘘や妄想で、強欲を達成したエリートだ。

国家は認知症となり、老害化が著しい。国家をダイナミックにした社会である。 これで天変地異や非経済成長に対応できる。今日本はその切り替えを世界に提案する。経済成長自体が、天変地異であった。 人類の人災が、経済成長である。 *。 人類は天災や病気に…

自由は多数決で決まられない

自由・平等・博愛は、多数決で決められない。 これを理想として消点として、国家原理主義が生まれた。 これは国家体制以外を、排除した。即ち、国家を妄想とした。 即ち、国家は嘘や妄想であった。国家はユークリッド空間である。 国家はスタティックである。

原発事故で、これをやり、世界の笑いを買った。 だがその意味が分からない!自分の愚かを知ることは、西欧だって容易に出来ることではない。 基本波と高調波の違いを分らないと分からないことだ。

これがお上偏差値である。ただやるだけ。 警察も裁判もお前が犯人だと、押し切るだけだ。判断や決定能力が無い。

これは基本波と高調波の問題でもある。例えば、日本の殺人は国家の基本波であるが、 ヨーロッパの殺人は、高調波である。ジグソー偏差値にはこれを知ることが出来ない。 *。 原発事故で、日本はジグソー偏差値を使う他なかった。 お上日本にはそれしかなかっ…

これが原発事故で、世界に露呈した。 お上日本には、思考能力が無かった。答えが分かっている問題を解くのは、思考ではない。 思考には、創造と日常の2モードがあるといった方がいい。これはKleeneの定理で、識別は出来ない。 だが存在している。 *。 最先端…

創造と日常

誰でも日常生活するが、知的生活では、創造と日常が分離した。創造や進化を担う人と、日常生活者は不確定性原理で遮断されている。日本で言う評論は、知的生活の改善であり、創造ではない。 これは学習であり、世界創造の段階に移行した。 これで評論は不必…

消費の対偶は、破壊であった。 これは硬貨の表裏である。

これを正常としていた。 これが現代の混迷だ。 それが閉塞感の正体だ。

消費生活や経済成長は、生活のガン化であった。だから皆が苦しむ。 それはガンの痛みだ!

即ち、システムを発振させた。 これが自己否定の肯定であり、自己破壊だ。消費生活は生活をガンにした。

女は永遠を生き、男は今此処を生きる。 両方必要だ。現実=今此処+i永遠=微分空間+i積分空間。 *。 消費生活は、今此処の世界だ。 つまりそれが消費だ。消費は、歴史を排除した。

実存は歴史を含み、現存在は歴史抜きのようだ。金権生活すると、今此処の絶対値が問題だ。 歴史を入れた実効値と絶対値は違う。歴史を入れると、サイクル化する。

現実=日常+i歴史

現実には歴史が含まれる。 家族にも歴史が含まれるようなことだ。今此処にある日常、今此処にない歴史。 人の意識はコンプレックス化した。