2009-04-30から1日間の記事一覧

少なくも世界認識の精度は上がった。戦争と犯罪は次元や位相が違う。 これを一緒くたにして、問題化不能にした。愛だけでは戦争がなくならない。 いやそれが引き起こす戦争があるようだ。この違いは知性2.0で見える。 検討可能の段階に到達した。

犯罪は個人でも出来るが、 戦争は国家や組織がやることだ。 更に国家の犯罪が出てきた。

人は善と悪の二気筒エンジンで、 善を燃やせば、悪を排気するのかも知れない。すると正に低公害化の段階になった。それが最適化であり、負帰還だとすると分かりやすい。

だが世界は犯罪と戦争に溢れている。これは愛と違う問題であることが分かる。

文化品質論

東洋は自分を痛めつけて、心の根源に到達した。 高度の人格はあっても、人間性はなかった。西欧は弱者の哀しみを知り、人間性に達した。

そんな違いが何だって言うのか。お上文化は、少子高齢化で破産した。 たくさんの人を殺してしまう。エリートの感性や知性にそれは当然のことだ。 それを自己責任という。そこに作った豊かさだ。 それは豊かさかそうでないか。豊かな人には豊かで、豊かでない…

だが弱者は、強者に殺されて食われるだけで、 その逆は出来ない。キリスト教文化は、弱い人に生きる喜びを与えた。だからといって、西欧文化が何から何までいい分けではない。 西欧全体は、殺戮と略奪の文明だ。その中に、愛がある。 餓死しそうな人がいると…

だが源氏物語は虐げられた人ばかりだ。光源氏は世間的にはスーパーエリートだが、 母親を殺され、絶対に天皇になれない地位に貶められ、 男の激しい嫉妬と殺し合いの政権の場にいた。紫の上は、父親知らずで、 幼児期からお寺に預けられ、 四歳にして光源氏…

虐げられたものは幸いである

西欧文化と日本文化の違いを一言で言えばなんだろうか。日本には虐げられ物は幸いであるという思想がない。 日本のお上文化が弱いものの悲しみを知らず、 弱者を平気で殺せるのは、 エリートの知性や感性に弱者の気持ちがないからであろう。

これがGoedelの不完全性定理を実体化したことだ。形式論理を現実の実体とした貴重なケースだ。

それは現実が実証している。この発言をした総理は、精神障害を起した。 ありえないことを実行すると、気が狂ってしまう。鬼畜米英を天誅殲滅する。 こんな出来ないことを主張した日本は、全滅した。 即ち、証明不能である。

私は靖国へ行くとも行かないとも申しません。 この文章は無矛盾である。従ってこの文章の無矛盾は証明できない。現実の行動で、 行くことと行かないことが同時に実現することはない。

私は靖国に行くとは申しません。 否定文は、私は靖国へ行かないと申します。私は靖国へ行かないとは申しません。 否定文は、私は靖国へ行きます。二つの文章を合成すると、 私は靖国は行きませんが、行きます。 このような状態は存在しない。ここでただ一つ…

毒入りカレー事件が冤罪である証明1

先ずGoedelの不完全性定理をGoedelという言葉を使わないで説明しよう。ある総理大臣が言った。 靖国に行くとも行かないとも申しません。 これは決定不能文だ。この文章を分解しそれぞれの対偶=否定を取る。 対偶文はワンセットで現実に存在する。

これが医療過誤であったり、 事故事件や教育問題や経済の崩壊でもある。現在がない→過去を現在にしてやる→金と快楽を出せ。ここに生きられるが、生きてはいない。 生きることを偽装している。 これが偽善と欺瞞、 即ち閉塞感と心の闇の生き方だ。 即ち、現実…

これが閉塞感と心の闇の正体の一部でもある。過去に閉じ込められ、生きることを失った。過去を生きることが閉塞感の正体であり、 現在を失った心の闇が、 人々を発狂させ、 悪と暴力を生きることを強要する。

自己実現といっていることは、 現在に自己はなくなったことを言っている。自己を将来に創造的にしか出会えず、実体化できない。現在の自己を処理しては、 処理した時既に過去の自分でしかない。 ここの現在を失い、 自己の亡霊を生きるのだ。 *。 国家と産業…

現実の喪失 人類は過去を生きている

国家と産業にマスコミ・言論界・学界が処理しているのは過去の問題だ。過密化し高速化した世界は、 問題を認識解決することは、過去を生きることになった。現在を生きながら問題処理は過去を生きることだ。 現代人は現実を失った。現実は予測し推測し洞察す…