だが部分としての国家や社会、
これが問題を作って、やらせている。

         *。
このように解読すると、
全体でない部分としての国家が、
閉塞感の正体であることが分かる。

部分が全体として振舞う。
これが国家の恫喝の正体だろう。

即ち、恫喝こそ閉塞感の爆発だ。