2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

いよいよ世界はこの転換期を迎えた。 日本の出番となった! *。 日本忍者の必殺技、柔道背負い投げ一本。 これで世界をひっくり返す。世界の流れは、正帰還から負帰還へ。 散逸・拡散から安定へ。これを背負い投げ一本で決める。

ニュートン力学は、クォンタム力学となった。世界は人類と位置と、人間性の運動量の総体となった。 民族や個人は、位置であり、運動量ではない。 運動量は人間性の総体である。位置と運動量は、不確定性原理で遮断されたいる。 *。 日本文化は世界を受けきり…

そうやって何百年かし、 現代に至って、世界文化は日本で飽和し、一つの文化に結晶し始めた。日本は世界の総体となった。 *。 人類文化と人間文化が、交わって来た。人類文化と人間文化は、不確定性原理で、遮断されている。 この両者からなる量子力学系だ。

日本海族列島

日本海族は、世界のあらゆる文化をマスターし、 それを日本に持ち帰り、日本ガラパゴス列島に蓄積した。日本は世界文化の博覧会だ。 日本には何でもありだ。

世界を受け切る。 これがパラドックスの解消問題である!

人類は新世界に到達した。世界を受け切れ。 能動は正帰還であり、受動は負帰還であった。 これが世界の構造だ。

幸福と不幸の不動点を取る。 それは裏技で出来る。幸福と不幸の特異点の裏技に、幸福と不幸のない不動点が取れる。 幸福と不幸を消した非ユークリッドだ。 *。 これが日本忍者の必殺技、柔道背負い投げ一本だ。柔道は、能動世界の裏技であった。 受け切れば…

幸福と不幸が交わる。 即ち、精神が成り立たない。精神には、幸福と不幸の交点が、安定である。 幸福と不幸の交点が、特異点である。 どっちかに転ぶ。

人類や人間は、意味不明の幸福を追っていた。 *。 大体、幸福はあるのか。幸福を追うほど、誰もが不幸になる。 金持ち不幸と貧乏不幸が、交わるのだ。

これが人類統合失調症だ。 誰もが偽善と欺瞞の演技を生きる。これは幸福か不幸か。 決定不能だ。 この文章が正しいのなら、幸福であり不幸である。 この文章が間違いなら、幸福であり不幸である。

幸福は精神のガンである

人は成功・感動・幸福を求めて生きた。 そこに出来た感動地獄である。 誰もが被害者と加害者になり、 たくさん加害することが出来る人が、成功者・勝利者・エリートである。 *。 身体的幸福が、精神的不幸であった。 身体と精神が、交わらない平行線の世界だ…

法の無矛盾を証明しようとしてはならない。 これが法を無矛盾にしたのだ!人はゲーデルの不完全性定理によって、この段階を進化した。

無矛盾である証明をしようとしなければ、無矛盾は現れない。これが法律であった!

国家は奴隷秩序であり、 皆が奴隷であるから、奴隷であることが分からない。これが法律である。 *。 無矛盾に法律と作ると、 それが無矛盾であることが分からない。だが無矛盾を証明しようとすると、証明できない。

だが飼っている人もまた、奴隷である。 国家は奴隷の秩序であった。人は皆奴隷となり、それが国家秩序だ。 そこには偉い奴隷と偉くない奴隷がいる。

国家は狂気である証明

国家は暴力と悪の合法的殺人鬼集団である。国家は狂気と犯罪を繰り返し、人類を陥れた。 国家はプロパガンダであり、 暴力を繰り返すことで、人類を飼いならした。人間は国家暴力の奴隷となり、家畜・乞食となった。 国家は人を飼いならし、奴隷とした。

ポジティブ・シンキングは、 エネルギーの散逸であり、 自己否定の肯定であり、 自己破壊であり、ガンであった。アメリカはポジティブ・シンキングに殺された!

肥満に苦しみ、飢餓に苦しむ。ポジティブ・シンキングは、人を統合失調症にした。 即ち、肥満に苦しむ人は、飢餓を知らない。 飢餓に苦しむ人は、肥満を知らない。 人間社会は、最適を失い、統合失調症となった。 *。 生産と消費の均衡こそが、最適であり、…

多様性は 世界をありのままに受け入れることである

能動は世界から脱出することであり、受動は世界に止まることである。正帰還はエネルギーの散逸であり、負帰還は世界を安定することである。 負帰還はポジティブ・シンキングでなく、世界をありのまま受け入れることである。ポジティブ・シンキングはある時点…

如何に良い国家や文学を作っても、それは死体だ。 *。 文章は死体の世界である。 どんなに感動的な事柄を作っても、そこに命はない。国家や文学は、素晴らしい成功や幸福や感動を作ったが、それは死体であった。国家や文学は、殺人と強盗装置であった!

即ち、国家や文学に命はない。 仏教や儒教もそうだ。 それは死体であった。 *。 命は好き勝手に扱えない。国家や文学は好き勝手の世界だ。 それは嘘や妄想だから出来る。 だがそれは命ではない。

お上日本は、自分で何をやっているか分からないことをやっているのだ。何かを思い込むと、それが絶対となる。 その絶対性が国家秩序である。アホ・バカ・間抜けの三本の矢が、国家秩序だ。 *。 遂にゲーデルの不完全性定理がこれを飛び越えた。無矛盾の文書…

日本や中国は精神障害である

お上日本は、精神病質であり、退廃を生きている。理性がないので、それが分からない。 即ち、論理も思考能力もない。 *。 ヨーロッパは、 ソクラテス・デカルト・ウィトゲンシュタインと自分を見る目を養った。ウィトゲンシュタインは、 統合失調症をプロー…

問題には賛否両論がある。 どっちかに立つ国家原理主義は使えなくなった。 *。 国家と国民は交わる交点になった。人が共通の不動点を獲得した。すべての人間の不動点が獲得された。 これが人間地動説である。

ここで国家や自分が、絶対に正しいという段階を超えた。 善が悪を征伐する宗教や道徳を超えた。即ち、国家は間違っていても正しいとすることを超えた。 国家天動説を超えた。

カオスと超えた超理性

超理性で表裏が一体に見られるようになった。 表裏はパラドックスであり、 これを如何に最適化するかが問題だ。 即ち、パラドックスの解消問題である。これで超理性で、カオスへの対応が出来るようになった。

それにはゲーデルの不完全性定理が必要で、不確定原理が必要だ。

もやが掛かった知能から、それを克服した知性だ。煙幕を張る情報戦は終わった。 人間性がすっきり見える世界で、暮らすことが出来るようになった。視界が開け、顕微鏡や望遠鏡の視界となった。 これが知性の世界だ。

知能の解像度を上げると、知能と知性は違うものであった。これからは、知性の時代が始まった。

だが人間精神の内部構造が分かるようになった。 偏差値問答は、人間性と関係のない知能であった。それで人間能力を検定する。 それは人間性でもなく、知性でもない。 何かの知能であることは間違いない。即ち、知性でない知能がある。 *。 これらが識別でき…