2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

同時に予想や推測することは、どんなに難しいことか。 今までにない視点が要求される。ないものを読む。 これから起こることを読む。 知らないことを知る。これがメタ知だろう。 不可能への挑戦とか、未知への挑戦とか言われることだ。 *。 だが相対性理論を…

いや人類は、新世界の観測装置と持っていない。 そういった方がいいのかも知れない。地球文明は、死の文明から生の文明に変換しつつある。 この過度時には、混乱が発生する。それを子供のといっているのだろう。このように解読すると、新世界が予感される。

偏差値崩壊

サルトルは子供の思想家で、ハイデガーは子供の知性家だった。 彼らは汝自身を知らなかった。いや新しい世界に手を付けたと言った方がいい。 だから子供。自分を見ない思想や知性。 新しい世界の創始者。でも何が始まったんだろう。 思想は死んだといわれる。

汝自身を知れ。 これが理論理性の根幹だ。自分を自分で見られない、この罠を抜け出すことだ。これが構造理性であり、対偶恒等式だ。

自己否定の肯定、 このパラドックスを脱出することが問題だった。それは理論理性を徹底することだ。

負のエントロピーを食べるのでなく、 正のエントロピーを食べたのだ。この捩れ、 即ち、パラドックスに絞め殺された。これを解読できねばならない。 *。 この捩れこそが、 社会の疎外感であり、閉塞感であり、心の闇だ。即ち、パラドックスに絞め殺される。

人を殺して、殺して貰う。即ち、自己否定の肯定だ。 これが他殺自殺であった。

取調べの可視化、当然のことだ。 それをさせないことが問題だ。可視化させないことが、国家利権だ。即ち、国民否定の国家責任が問題だった。これが視座の転換だ。 *。 現代は負のエントロピーを食べる時代だ!それへの抵抗は、無秩序化だ。 即ち、正のエント…

これに適応する生き方が、人間地動説であり、 この世界は相対論の世界だ。即ち、交わる平行線の世界だ。 *。 警察はデモに向かって、無駄な抵抗は止めなさいという。それが国民が国家に言うことだ。国家は警察や軍隊を使って、無駄な抵抗をしている。

これを考えれば、時代思潮を読む能力が付く。 進化の流れに任せる生き方、 こういう新しい生き方の時代となる *。 アメリカや日本は、進化に逆らうことで、 進化側にエネルギ−を供給する。これが負のエントロピーを食べる方法だ!進化自体、新しい方法で行わ…

国家は誤っていても正しく、 国民は正しくても誤っている。この捩れを取る人間地動説だ。 *。 この認識が出来るかどうか。 それは出来ないから、 人間地動説は、国家原理主義を非難・中傷・罵倒して、 それをエネルギーや栄養とする。もうエチケットの時代で…

国家原理主義は、国民否定の国家肯定だ。 これが国家主権だ。 これは国民主権の否定だ。国家について来い。 これに国民は信頼を寄せた。当然、国民は国家の食い物にされた。 まぁ食べられるだけいいじゃないか。遂に食べられなくなった。 *。 国家原理主義は…

視座の転換

例えばベーシック・インカムが人間地動説に立って理解できることだ。 国家原理主義の人を説得できない。革命期においては、視座の転換が先立つ。

セックスしていない男と女がいることは、無矛盾である。 これを解消するには、セックスすることである。するとそれは無矛盾であっても、矛盾していても、 それは無矛盾consitentとなる。即ち、男と女はセックスしなけれがならない。 その時だけ、無矛盾とな…

ゲーデルの不完全性定理を適用しよう。第一定理。 男と女はいつでも真であることができる。 ただしそれは証明できない。第二定理。 男と女は、セックスしていようといまいと、 それは無矛盾である。 *。 何をいっているのだろう。 あぁ、神よ。この定理をひ…

男と女のパラドックス

男と女は、セックスしているときが、真trueであり それ以外は嘘falseである。

大人原理は、文章と現象の不確定性原理を理解することだ。 対偶恒等式で現世を考えることだ。

人類は子供だった。もう大人になる時期だ。戦争ごっこや殺人ごっこは終わった!

発展途上国は、この先進国の愚かさを知ってほしい。公害は後で整理させられる。

子供民族も限界に来た。 大人になる時となった。全プロセスを見る。 因果を合わせ見る。 対偶を考える。 *。 そこまで見ると、人類も子供だった!環境破壊を考えず、快楽に耽った。 後片づけをしないで、遊びまわった。

日本人は自分が見えない。 即ち、子供だ。

楽しさの対偶は自殺だ。 現実はいい事だけ起きるのではない。全プロセスを考えることが、対偶恒等式だ。いいとこだけ見て、その因果を考えない。 *。 日本人はまだ子供だ。 いいとこ取りをしている。全プロセスと考えるのが大人だ。 そういう人がお上日本に…

日本人はこのプロセスを知らない。 即ち、死の本能に取り付かれている。楽しい自殺の、楽しさにチューニングしている。 自殺が見えない。

日本人はこのパラドックスの恐ろしさを知らない。パラドックスは人の首吊り道具だ。 そこにあるのは、自殺だ。 楽しく愉快に自殺するのだ。 *。 大日本帝国を考えよう。 あるいは自民党帝国と考えよう。それは楽しい自殺であった。

自分をパラドックスの罠に賭け、 その人を絞め殺すのだ。これが感動の正体である。

メタファーは妄想である。 これが現象と対応した時、正夢となる。小説は妄想の利用である。 悪く使うと、意識を破壊する。破壊された意識の森羅万象性。 ここの幸福感と躍動性こそ、物語だ。 *。 物語の恐ろしさを考えよう。 秀吉の草履伝説の恐ろしさを考え…

人類は子供だった

文章の妄想可能性こそ、文章の特徴だ。 文章を使って、現象を書く。 ここに妄想が付きまとう、 これを排除するのは、全宇宙スキャニングである。

偽物でもいい場合、よくない場合がある。これがメタ知性だ。

馬子にも衣装、 人は馬子でなく、衣装に心が躍るのだ。これが馬子の否定の肯定だ。これが豊かさであろう。 *。 このごまかしやデタラメを超えることが必要になった。嘘の中に、真実を掴む。 現代はこのように編成された。

スターリンは思想家ではない。 ヒトラーは哲学ではない。何でこんなものに引っかかったか。 サルトルは思想家ではなかったからだ。 ハイデガーは哲学者でなかったからだ。そんなものに多くの人が引っかかった。 そこには知性も思想もなかっらからだ。 *。 知…