2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

言葉と現実は対応していない。言葉と現実に不確定性原理がある。即ち、言葉で現実の観測・測定は不能だ。

すると言葉で現実を書けるが、どこまで書けるかだ。言葉で書けない現実、 それをどう意識できるか。 あるいはそんなものはないか。決定不能性から、言葉で書けない現実があることが予想される。

このように考えると、 公理系は言語系であり、 その適用系は現実である。言語と現実に不確定性があるとすると、 言語と現実は違うということだ。 *。 言葉は現実ではない。言葉を現実の運動量に変換する手続きがある。

言葉で書けない現実の存在

法律は、自由・平等・博愛とか人権ということで公理化できる。するとその公理系は、正しいとも正しくないとも決定不能となる。 唯一つ正しいことはそれが公理系だということだ。この公理系の無矛盾は証明されない。

旧世代と新世代の軋轢、 これを殺人とする世代がいる。必要な殺人もあった!

臍の緒切断は、誰も殺人といわない。新世界への旧世界切断も、殺人とは言わなくなる。現代文明は、空間の移動を知らない。

人の進化に殺人が必要である!殺人絶対禁止、 これが国家の死刑制度だ。国家の殺人は殺人ではない。 この罠に落ちた1Q84だ。その殺人が必要だ。 *。 生命は殺人に始まる。殺人のない永遠の平和こそ殺人であった。

殺人と人と生むことは、不確定性原理である。 無関係の関係である。ここに新しい世界が生まれる。 *。 オウム真理教は、人を殺して殺してもらうことで、 日本を新生させたといえるかも知れない。臍の緒切断と、殺人の違い。 これは空間の移動という考えと使…

革命は殺人である。これを回避した仏教圏は、心のない永遠平和の世界だ。心は殺人の殺人に成立する。 これが空間の進化である。仏教はこの空間を設定で出来なかった。 仏教は子宮内生き物である。 *。 世界に出るには、臍の緒を切ることが必要だ。 *。 臍の…

人を殺して殺してもらう。 これが新自由主義だ。 日本の若者のテーマだ。殺人のゼロ・リセットに、生の文明が初期設定される。殺人で、殺しの文明を殺している。 ここに立つポインティング・ベクトルが生の文明だ。ここに人類は、生の文明に飛翔する。

生のエントロピーを食べることは、死の文明だ。負のエントロピーを食べることが、生の文明だ。 *。 人類は正帰還文明を、負帰還文明に切り替え中だ。

村上春樹は日本人の根源を摘出した。死の文明の本質を明らかにした。 *。 現代は死の文明を生の文明にする大革命中だ。国家天動説を人間地動説に変換中だ。 これが負のエントロピーを食べる新世界だ。エントロピー文明を、ネゲントロピー文明に展開中だ。

愛の対偶は殺人である。生は死の一部であり、 人は生きることを死なねばならない。これが死の本能の根源テーマだ。 これが日本人の井戸である。

人を殺し、殺してもらう。 そのゼロ・リセットをやっている。これをひっくり返せば、それが生の文明だ。 *。 1Q84はその学習だ。殺人に示す愛、それが愛の美学である。

太平洋戦争で、人類数千万人を殺し、 これが日本人の生があった。人を殺して、殺してもらう。 この袋小路を脱出する若者の使命だ。

これが人を殺して、殺してもらう事だ。この罠、この袋小路に落ちが日本人だ。

自ら殺すことは、他人を殺すことである。これが日本人が死の本能と生きていることだ。 *。 自ら殺して、世間を生き、 世間を生きて、自らを殺す。

ネゲントロピー大革命

日本人とは死ぬことと見つけたり。 対偶を取れば、 日本人とは殺すことと見つけたり。死ぬことを生き、 即ち、殺すことを生きる。即ち、日本人が生きることは、自分と他人と世間のいじめ殺しである。

孤独と絶望に、祈りを振り掛ければ、 スモークサーモンのサンドイッチと冷たいビールになる。世界は生態系に階型を上げ、 宇宙空間に不動点が飛びかうことを見るだろう。 *。 俺はジャンク・ジャック 恐れなき冒険俺はジャンク・ジャック 自由の精神俺はジャ…

もし女が男の色気を言うのなら、 自分を励まして生きることを言うのだろう。もち女が男に求めるものがあるとしたら、 自分を励まして生きる男の姿だろう。それ以外何もないからだ。これが男の哀愁だろう。 それ以外何もない。 *。 孤独と絶望を資源として、 …

人の評判などどうでもいい。孤独と絶望に、祈りを捧げれば、それは男の哀愁に変わる。

祈りに行く

阿久悠に高橋真梨子の「教会へ行く」がある。教会へ行く 黒いドレスを着て今日は大事な人のなくなった朝あのひとはいいひとだった 私だけが知っている他の人は不幸なひとというけれど誰も来なくていい 私一人だけでいいひそかな祈りを捧げます教会へ行く 黒…

これで自己否定を肯定する自己責任の罠を克服できた。ゲーデル・モラルに従えばいい訳だ。 ゲーデル・モラルは、論理であり、倫理である。論理と倫理は一点に交わった! ゲーデル・モラルで、人間の不動点を獲得した。

ここで日本もそれ以外の世界も理解できる。ゲーデル・モラルを取らないと、日本は理解できない。

言葉の上での異常と正常と、 現実の異常と正常は不確定性原理で、遮断されている。現実の正常は、人間性の製造・販売・消費に示される。 言葉の正常は、言うだけで得られる。 *。 ゲーデル・モラルこそ、新しい論理基準だ。通常のモラルは、そのモラルを正常…

異常を異常としないことは、言葉の上で、無矛盾に出来る。 だがそれを証明することは出来ない。現実にはそれは異常であるから。

隠せる異常は、正常だ。即ち、自己否定の肯定は正常=自己責任である。 *。 異常丸出しの人と、異常を隠せる人。どっちが正常か。 人のは異常丸出しの人と隠せる人がいる。ここで多々一つ正しいことは、皆異常である。

即ち、正常とは異常を隠す人々だ。隠せない人は異常者で、隠すことが出来るのが正常だ。即ち、すべての人は異常である。 隠せない異常と隠せる異常がある。

国家の言いなりになって生きる人は、正常か異常か。通常の障害者は、言いなりになることは出来ない。 だがアスペルガー症候群はこれが出来る。 *。 やりたい放題をする人は、異常とされる。 それが正常の定義だ。だがそんな人はいるか。 分からないように、…

精神障害者を直視し、 そのものを理解しようとするドキュメンタリーが現れた。 世界で映画賞を取っている。