2009-09-28から1日間の記事一覧

言語原理主義、これで人は狂った。 それがよく見える現実だ。言葉だけでは足りない現実だ。

言葉にならないものとの共存。言葉は現実の一部であった。 *。 現実は公正や誠実だけでは対応しきれない。それが祈りなのかもしれない。

第一定理は、出来ないことをするな。第二定理は、やってはならないことをするな。これは言葉を超えた、現実の掟だ。 言葉で何でも書ける訳ではない。

言葉は必要だが、何でも書けない。 *。 ゲーデルの不完全性定理は、 言葉にならない現実の存在を言っているとも取れる。そこにどう対応したらいいのか。

言葉と現実は対応していない。言葉と現実に不確定性原理がある。即ち、言葉で現実の観測・測定は不能だ。

すると言葉で現実を書けるが、どこまで書けるかだ。言葉で書けない現実、 それをどう意識できるか。 あるいはそんなものはないか。決定不能性から、言葉で書けない現実があることが予想される。

このように考えると、 公理系は言語系であり、 その適用系は現実である。言語と現実に不確定性があるとすると、 言語と現実は違うということだ。 *。 言葉は現実ではない。言葉を現実の運動量に変換する手続きがある。

言葉で書けない現実の存在

法律は、自由・平等・博愛とか人権ということで公理化できる。するとその公理系は、正しいとも正しくないとも決定不能となる。 唯一つ正しいことはそれが公理系だということだ。この公理系の無矛盾は証明されない。

旧世代と新世代の軋轢、 これを殺人とする世代がいる。必要な殺人もあった!

臍の緒切断は、誰も殺人といわない。新世界への旧世界切断も、殺人とは言わなくなる。現代文明は、空間の移動を知らない。

人の進化に殺人が必要である!殺人絶対禁止、 これが国家の死刑制度だ。国家の殺人は殺人ではない。 この罠に落ちた1Q84だ。その殺人が必要だ。 *。 生命は殺人に始まる。殺人のない永遠の平和こそ殺人であった。

殺人と人と生むことは、不確定性原理である。 無関係の関係である。ここに新しい世界が生まれる。 *。 オウム真理教は、人を殺して殺してもらうことで、 日本を新生させたといえるかも知れない。臍の緒切断と、殺人の違い。 これは空間の移動という考えと使…

革命は殺人である。これを回避した仏教圏は、心のない永遠平和の世界だ。心は殺人の殺人に成立する。 これが空間の進化である。仏教はこの空間を設定で出来なかった。 仏教は子宮内生き物である。 *。 世界に出るには、臍の緒を切ることが必要だ。 *。 臍の…

人を殺して殺してもらう。 これが新自由主義だ。 日本の若者のテーマだ。殺人のゼロ・リセットに、生の文明が初期設定される。殺人で、殺しの文明を殺している。 ここに立つポインティング・ベクトルが生の文明だ。ここに人類は、生の文明に飛翔する。

生のエントロピーを食べることは、死の文明だ。負のエントロピーを食べることが、生の文明だ。 *。 人類は正帰還文明を、負帰還文明に切り替え中だ。

村上春樹は日本人の根源を摘出した。死の文明の本質を明らかにした。 *。 現代は死の文明を生の文明にする大革命中だ。国家天動説を人間地動説に変換中だ。 これが負のエントロピーを食べる新世界だ。エントロピー文明を、ネゲントロピー文明に展開中だ。

愛の対偶は殺人である。生は死の一部であり、 人は生きることを死なねばならない。これが死の本能の根源テーマだ。 これが日本人の井戸である。

人を殺し、殺してもらう。 そのゼロ・リセットをやっている。これをひっくり返せば、それが生の文明だ。 *。 1Q84はその学習だ。殺人に示す愛、それが愛の美学である。

太平洋戦争で、人類数千万人を殺し、 これが日本人の生があった。人を殺して、殺してもらう。 この袋小路を脱出する若者の使命だ。

これが人を殺して、殺してもらう事だ。この罠、この袋小路に落ちが日本人だ。

自ら殺すことは、他人を殺すことである。これが日本人が死の本能と生きていることだ。 *。 自ら殺して、世間を生き、 世間を生きて、自らを殺す。

ネゲントロピー大革命

日本人とは死ぬことと見つけたり。 対偶を取れば、 日本人とは殺すことと見つけたり。死ぬことを生き、 即ち、殺すことを生きる。即ち、日本人が生きることは、自分と他人と世間のいじめ殺しである。